30年ほど前のポジフィルムから見る「昔の野鳥公園」その2です。
今回は、潮入りの池の様子をご紹介します。
潮入りの池と前浜干潟の間の樹林はスカスカで、観察小屋の周りもスッキリしています。
現在とは全く違う光景です。シギ・チドリ類などの水鳥も潮入りの池と前浜干潟を行き来がしやすかったかも知れません。
チーフ曰く、「干潟にある黒い帯状のものは、トラクターで耕耘をした痕跡」とのことです。
当時は、干潟にもトラクターを入れ、造成直後で固い干潟を耕耘してほぐしていたそうです。
今では、トラクターが出入りする所がなく、干潟も所により柔らかいので、ぬかるみにスタックしそうで怖くて、トラクターでの耕耘ができなさそうです…
なお、写真の手前側はネイチャーセンターのそばです。
この斜面は、今では、木々が茂っていますが、当時は、斜面にススキやオギの草地あったことが分かります。
1993年撮影、潮入りの池の島(通称:アジサシ島)は、アジサシの繁殖誘致のために裸地とすべく管理していました。
島の草を刈り、耕耘をした他、時には防草シートを敷いたり、海水をまいたりして、試行錯誤をしながら裸地の維持に努めていました。
1992年撮影、城南大橋から見たネイチャーセンターの光景。
前浜干潟と潮入りの池の間の木々が小さく、写真の間に水門(水色)も見えます。
ネイチャーセンターの横(2号観察小屋側)や、東淡水池側の法面(斜面)はまだ土がむき出しです。
水門では、フジツボ、カキなどの付着生物やゴミが水流の障害となるため、当時も、現在もレンジャーが清掃をしています。
暗くて、高さ的に狭い構内は、付着生物やゴミがなかなか取れないし、底に沈んだ付着生物を押し流すのも大変な作業です。
大潮の引き潮の時間帯に作業をするので、潮入りの池から前浜干潟に水が流れているのですが、夏場は風が流れないと暑くて、水がぬるくて、汗だくになります。冬場はやはり水も風も冷たく、大変です。
潮入りの池と前浜干潟の間にある砂礫地は、コアジサシの繁殖誘致の場所です。
砂礫地は放置すると草木が生えてしまうため、当時も、今も、トラクターでの耕耘や刈払機での草刈などの保全整備をしている所です。
次回以降の投稿でも紹介しますが、当時の写真を通しても、野鳥公園では、特にコアジサシの繁殖誘致に注力していたことが分かります。
次回も、潮入りの池エリアの写真をご紹介します。
今回は、潮入りの池の様子をご紹介します。

潮入りの池と前浜干潟の間の樹林はスカスカで、観察小屋の周りもスッキリしています。
現在とは全く違う光景です。シギ・チドリ類などの水鳥も潮入りの池と前浜干潟を行き来がしやすかったかも知れません。
チーフ曰く、「干潟にある黒い帯状のものは、トラクターで耕耘をした痕跡」とのことです。
当時は、干潟にもトラクターを入れ、造成直後で固い干潟を耕耘してほぐしていたそうです。
今では、トラクターが出入りする所がなく、干潟も所により柔らかいので、ぬかるみにスタックしそうで怖くて、トラクターでの耕耘ができなさそうです…
なお、写真の手前側はネイチャーセンターのそばです。
この斜面は、今では、木々が茂っていますが、当時は、斜面にススキやオギの草地あったことが分かります。

1993年撮影、潮入りの池の島(通称:アジサシ島)は、アジサシの繁殖誘致のために裸地とすべく管理していました。

島の草を刈り、耕耘をした他、時には防草シートを敷いたり、海水をまいたりして、試行錯誤をしながら裸地の維持に努めていました。

1992年撮影、城南大橋から見たネイチャーセンターの光景。
前浜干潟と潮入りの池の間の木々が小さく、写真の間に水門(水色)も見えます。
ネイチャーセンターの横(2号観察小屋側)や、東淡水池側の法面(斜面)はまだ土がむき出しです。

水門では、フジツボ、カキなどの付着生物やゴミが水流の障害となるため、当時も、現在もレンジャーが清掃をしています。
暗くて、高さ的に狭い構内は、付着生物やゴミがなかなか取れないし、底に沈んだ付着生物を押し流すのも大変な作業です。
大潮の引き潮の時間帯に作業をするので、潮入りの池から前浜干潟に水が流れているのですが、夏場は風が流れないと暑くて、水がぬるくて、汗だくになります。冬場はやはり水も風も冷たく、大変です。

潮入りの池と前浜干潟の間にある砂礫地は、コアジサシの繁殖誘致の場所です。
砂礫地は放置すると草木が生えてしまうため、当時も、今も、トラクターでの耕耘や刈払機での草刈などの保全整備をしている所です。
次回以降の投稿でも紹介しますが、当時の写真を通しても、野鳥公園では、特にコアジサシの繁殖誘致に注力していたことが分かります。
次回も、潮入りの池エリアの写真をご紹介します。