東京港野鳥公園の(公財)日本野鳥の会レンジャーが、公園で観察した野鳥や自然についてお伝えします!!
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カテゴリ: 昔の野鳥公園

30年ほど前のポジフィルムから見る「昔の野鳥公園」その13です。
今回は、生物編です。
前回から、だいぶ時間が空いてしまい、申し訳ございません…

生物の写真は大量にあるのですが、今回は、最近、ほとんど見られなくなった鳥、希少な迷鳥・旅鳥を厳選しました。
「確かに、当時は、よく見られた!」「この鳥が見られたこともあったね!」「そんなこともあったんだ!」のような視点でご覧いただければと思います。
写真の枚数が多いので、コメントは少なめです。

まずは、こちら。ユリカモメ90年2月_retouch
【ユリカモメ】
1990年2月撮影。
最近では、これほどの数が見られることは全くありません。
場所は、右の杭に青い目印があるので潮入りの池と思われます。カラフトアオアシシギ93年9月_trim
【カラフトアオアシシギ】
1993年9月撮影。潮入りの池にて。サルハマシギ90年5月_trim
【ハマシギ/サルハマシギ】
1990年5月撮影。潮入りの池にて。ポジ_1993年11月7日_マガン_川島撮影_trim
【カルガモ/マガン】
1993年11月撮影。潮入りの池にて。ポジ_1994年12月_オオハクチョウ_潮入りの池_レンジャー撮影_trim
【オオハクチョウ】
1994年12月撮影。潮入りの池にて。ポジ_1990年代_アオアシシギ_群れ_川島撮影
【アオアシシギ】
1990年代撮影。
シギ・チドリ類の渡来数の減少が指摘されている昨今ですが、当公園ではアオアシシギも群れを見る機会がすっかりなくなりました。ポジ_1990年代_エリマキシギ__レンジャー撮影
【エリマキシギ】
1990年代撮影。ポジ_1990年代_オグロシギなど__上原健
【オグロシギ、オオソリハシシギ、アオアシシギ】
1990年代撮影。ポジ_1990年代_ハマシギとトウネンの群れ__レンジャー撮影
【ハマシギ、トウネン】
1990年代撮影。
ポジ_1995年_レンカク_レンジャー撮影
【レンカク】
1995年5月撮影。ポジ_1990年代_コミミズク__レンジャー撮影
【コミミズク】
1990年代撮影。
コミミズクは、今でもごく稀に見られています。
今後もコミミズクのように河川敷や草地を好む野鳥が利用できる場を保全したいものです。

以上、ポジフィルムから見る昔の野鳥公園を13回に分けてご紹介しました。
今と比べて、あるいは、当時を思い出されて、いかがでしょうか。

ずっと眠っていた大量のポジフィルムは、何かの形で公開をしたかったので、今回、ようやく念願が叶いました。

今後も、時々、小出しするかも知れませんが、ひとまずは、これで完結とさせていただきます。
ありがとうございました。

(このデータをもとに、ネイチャーセンター1階の展示室や、園内での掲示なども検討中です)

30年ほど前のポジフィルムから見る「昔の野鳥公園」その12です。
今回は、砂礫地編です。

これまでも一部砂礫地の様子を紹介しましたが、ネイチャーセンター前の島、潮入りの池と前浜干潟の間の砂礫地、3号観察小屋前の島での保全活動の様子をご紹介します。ポジ_1990年頃_アジサシ島 (2)_retouch
ポジ_1990年頃_アジサシ島 (4)_retuoch
センター前の島では、草刈だけでなく、海水で植物を抑えようと試みていた時がありました。ポジ_1990年頃_アジサシ島 (5)_retouch
大型の水鳥ではなく、コアジサシがとまれるように、竹を島の周りに刺していました。ポジ_1991年_アジサシ島_retouch
ヨシなどの草の根を除去するために、耕耘していました。ポジ_1992年3月_アジサシ島_防草シート埋設_retouch
根を除去した後、草が生えないように防草シートを張った時もあったようです。
シートをむき出しにすると風に飛ばされたり、シートとシートの間から草が生えてくるし、土を盛りすぎると草が生えるし…と草に悩まされていたそうです。ポジ_1990年度_アジサシ島デコイとスピーカー
コアジサシのデコイ(模型)とスピーカー設置の様子。ポジ_年代不明_砂礫地維持img049_retouch
潮入りの池と前浜干潟の間の砂礫地の様子。
今は砂利がメインですが、当時は細かな砂礫が敷かれていました。
ここでも草が繁茂するため、トラクターで耕耘をしていたそうです。ポジ_昭和54年4月_ハンバーグ島かな_チドリ類の営巣地づくり_retouch
3号観察小屋前の島でのチドリ類の営巣地づくりの様子。
今ではサクラ、マツ、ヤマモモなどが生えていますが、最初は、チドリ類の繁殖誘致のための砂礫地でした。
池の雰囲気が明るいですね。

園内のどこも同様ですが、生き物のための保全管理や、観察視界確保の管理をするにしても、植物との闘いになっています。
洪水、氾濫などの攪乱がない環境では、放置をすると、植物が増え、樹林への遷移してしまうのが自然の流れです。
攪乱の多い海辺や河川敷などで繁殖をしてきた鳥類のため、園内に繁殖誘致の場を創出・維持する場合、人為的な攪乱が必要になります。
当時から今に至るまで、ずっと試行錯誤しながら保全管理をしています。

さて、一通り、エリア別の紹介が済みました。
次回は、ひとまず、最終回として、当時の生物の記録写真をご紹介します。

30年ほど前のポジフィルムから見る「昔の野鳥公園」その10です。
前回に続き、ネイチャーセンター編です。ポジ-1990年度-NC2階SV
シルバーガイドさん(現:ボランティアガイドさん)がお客様に観察サポートをしている様子です。ポジ_年代不明_コアジサシ着ぐるみ
撮影年代は不明ですが、当時は、コアジサシの着ぐるみがありました。ポジ_視聴覚室-マルチモニター時代
視聴覚室の様子。今は、プロジェクター投影ができますが、当時は、マルチモニターを使っていました。ポジ_NC図書コーナー
センター1階の図書コーナーの様子。ポジ_NC地下-img003
地下1階のがた潟ウォークが造られる前の様子。ポジ_1999年頃-がた潟ウォーク2
ポジ_1999年頃-がた潟ウォーク3
ポジ_1999年頃かな-がた潟ウォーク
がた潟ウォークは、今のリニューアル前まで、足場板を渡した「ガタガタ」する遊歩道でした。ポジ_1990年頃_NC窓からの景色_retouch
センター3階からの眺め。
コアジサシ繁殖誘致のため、砂礫地になっていました。ポジ-1990年度-NC屋上2_retouch
当時のデコイづくり&設置の保全参加イベントの様子です。ポジ_1998年_NC屋上_草刈り
屋上の草刈も行っていました。

簡単なご紹介に留めて、ネイチャーセンター編を①②に分けてご紹介しました。
今とは違う様子ですが、皆さんの印象はいかがでしょうか。

次回は、砂礫地編です。

30年ほど前のポジフィルムから見る「昔の野鳥公園」その10です。
今回は、ネイチャーセンター編です。
(タイトルは長すぎると文字が重なって表示されるので、NCと略しています)ポジ_1990年代_NC管理道_川島撮影_retouch
まずは、当時のネイチャーセンターの外観。
東観察広場方面から歩いてきた時の光景です。ポジ_NC入り口_retouch
入口の光景。
後程ご紹介しますが、屋上は、コアジサシの繁殖誘致の砂礫地でした。ポジ_年代不明4月_NC前_手嶋撮影_retouch
ネイチャーセンター入り口側から東観察広場方面を見た時の光景。ポジ_管理道からNC_retouch
東保護区の管理道から見たネイチャーセンター外観。ポジ_1990年頃_NC2Fレンジャーコーナー2_retouch
1990年ごろのレンジャーコーナー。
まだ何もありません。ポジ_1993年7月28日_NC2Fレンジャーコーナー_retouch
1993年のレンジャーコーナー。ポジ_NC2階-img014_retouch
センター2階の光景。
当時は、天井にモニターが4台ついていました。ポジ_1990年頃_NC内観察スペースの様子_retouch
窓辺の様子。
観察補助ツールは、当時からありました。ポジ_1994年5月_NCコアジサシ_retouch
1994年の写真で、島で繁殖中のコアジサシの観察日記がありました。
この時は、6つがいが抱卵をしていたものの、5/22にダメになってしまったそうです。

…と簡単にご紹介しても、まだ写真が続きます。
次回もネイチャーセンター編です。

30年ほど前のポジフィルムから見る「昔の野鳥公園」その9です。
今回は、当時の前浜干潟をご紹介します。

前浜干潟は、以前は野鳥公園の敷地外だったためか、記録写真があまりありません。
それでも、ガイド、イベントの様子や、工事の写真が何点かあったので、ご紹介します。

まずは、観察会の様子です。ポジ_1990年代_前浜干潟_1_retouch
ポジ_1990年代_前浜干潟_3_retouch
ポジ_1990年代_前浜干潟_2_retouch
当時は、前浜干潟観察デッキがなく、1号観察小屋から先は保護区として立入禁止でした。
写真を見ると、レンジャー、グリーンボランティアさん、ボランティアガイドさん(当時は、シルバーガイドさん)が参加者の皆さまと一緒に映っています。
当時も、カニやフジツボ、ハゼなどの仲間が観察できていたのでしょうか。ポジ_前浜干潟工事1992年
造成中の前浜干潟。ポジ_1990年代_前浜工事_3
これは、杭の打設工事の様子でしょうか。ポジ_1993年12月_前浜干潟_川島撮影
これは、前浜干潟観察デッキの辺りでしょうか。
打設が終わっていて、写真下部に水門前の護岸が映っているようです。ポジ_前浜干潟-1990年代後半-img007
こちらは、工事が終わって数年後の様子かと思います。
今は、草木が茂っていますが、造成当時はこんな光景だったようです。

編集後記となりますが…
東京湾は埋め立てが盛んに行われた結果、干潟、海辺を失ってきました。
その後、人工的に干潟、潮入りの池などの海辺が海上公園として造成されてきましたが、当公園においても海辺の生き物が暮らせる場になっています。
今後は、海鳥、カニ類、貝類などを含め、海辺の生物多様性の保全もポテンシャルを活かし、よりしっかりと行っていきたいと改めて思いました。

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